Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。
ジョー ジオーウェルの『1984年』のパロディ小説を毎週一回程度、連載していきますので、御高覧の程を、よろしくお願いいたします。
今回は連載
第三回目です。
今回よりも前の話↓
小 説『一旧八四年』 03
ちなみに、僕のIDカードの身分は『丙』レベル。東京都の条例で定められている『甲』、『乙』、『丙』の三種類のうち、三番目。一番下っ端だ。ただし、一番下っ端だろうが、特権階級だろうが、東京都民たるもの、常にIDカードを携帯していないと、カード不携帯で、友愛省の警吏に職務質問されてしまう。
そもそも、IDカードを常に肌身離さず持っていないと、唯一の交通手段=路面電車にも乗れないし、職場や学校にも入れないし、もちろん、買い物すらもできない。
とは言うものの、たとえ、カードを忘れ、捕まったとしても、友愛省の役人が、コンビニなどで使っているバーコードリーダーみたいな機械を、左上腕にかざすだけで、身元は確認できるので安心といえば安心だ。
もっとも、この身元確認方法は、IDカードよりもはるかに進んだ、おどろくべき「仕掛け」があるのだが、それについては、もう少し後に述べることにする。
ちなみに、保護されたカード不携帯者については、友愛省からの連絡が家族に入り、すぐに、家のヒトが出頭するように要求される。家族に迎えにきてもらえるというわけだ。もちろん、その後、僕の場合だったら、父ちゃんと母ちゃんにこっぴどくしかられるのだけど。
実を言えば、僕も、すでに一度、カード不携帯で、友愛省にとっつかまったことがある。迎えにきた両親はさすがに頭にきたらしく、その日は「食事抜き」の憂き目にあってしまった。
父ちゃんいわく、「犯罪履歴の多い家族がいるというだけで、会社の昇進に響く」のだそうだ。
カード不携帯が犯罪とは少々大げさな気はするが、サラリーマンというのも大変なものだ、と子供ながらに思う。
ちなみに、僕の父ちゃんは、磯辺ナミヘイ。
口癖は、「バカモン!」「けしからん!」「いい加減にせんか!」の三つ。家族の中でも僕だけにとくに浴びせられる罵声でもある。
父ちゃんは、山川商事の課長を務めている猛烈サラリーマンだ。仕事だけが生き甲斐の猛烈サラリーマンで、朝早く家を出、終電で飲んだくれてかえり、休日も出勤するほどの仕事熱心ぶり。ひと月あたりの、残業時間はゆうに百時間を超えているらしい。何をしているのかは、子供の僕にはよくわからないのだが、「書類を作成するのに忙しい」とのこと。仕事とは、「書類をつくる」ことなのだろうか。もちろん、その百時間分の残業代は、支給されない。管理職だからである。
課長というのはとにかく忙しいらしい。その仕事がおいつかないからと、父ちゃんは、「脳内の神経伝達物質の分泌を促進する」などの能書きのある、怪しげな薬を毎日、服用している。その薬は決して安いモノではないらしく、月の給料の二割はそれに割かれているらしい。
薬を飲むために仕事をしているのだろうか、などと僕は思ってしまうのだが、それほどまでに、何のために仕事をしているのかわからない、父ちゃんである。しかし、それだけではないことは確かで、僕ら家族を喰わせていくためにはしかたのないことなのだろう。それに、ある程度年をとったサラリーマンは、管理職になれなければ、リストラの憂き目に会う。
だから、父ちゃんは、「会社のため」に、今日も、その薬を服用し、ハイテンションになりながら、必至に書類と向き合っているのだろう。父ちゃんのテンションが低い時は、飲みつぶれて、トイレの前でその日、食したモノと再会している時くらいである。
そうそう、話を戻すと、先ほど、コンビニの話が出てきたのだが、実は、僕が小学生のときに、IDカード不携帯でつかまったのは、そのまさにコンビニで買い物をしようとしたときである。
コンビニというのは、とにかくすごい。ほとんど全ての食べ物がそろっている。ともかく、そのとき僕は、遊びに行った帰りで空腹だったせいもあって、きれいにパケージされた菓子 ー 後で聞いて驚いたのだが、依存症を引き起こす調味料が添加されているらしい ー を、かなりの数、レジに持って行った。そのときに、IDカード忘れに気づき、まごまごしていたら、店員に即座に通報され、敢えなく御用になってしまったという有様だ。小学生が強盗なんてするものか、と思うだろうが、この社会では、たとえ、女、子供だろうと容赦はしない。
皆がカードにこだわるのは、「IDカードを持っていない連中は、この社会では人間ではない」という考えからくるらしい。友愛省の警吏に言わせれば、東京都の在住で、カード不携帯者で、なおかつ身元を確認できなければ、『宇宙人』なのだそうだ。
そんな無茶な、と思うかもしれないが、疑われるような不信な行動をとっていれば、それだけで、『宇宙人』の一味と思われてしまう。
疑わしきは罰せよ。という、究極の管理社会、これが僕たちの住む東京弐十三区である。
そんな、とんでもない世界に生きている僕が、その世界をほんとうに『とんでもない世界』と気がつくに至った経緯がある。
ある事件が起きたのだ。
それまでは、ずっと、なんの疑いも無く、この管理、統制の行き届いた東京都二十三区で、何不自由無く『楽しく』暮らしていたし、これからもそれが永久に続くものだと思っていたのだ。
ずっと、1984年が続けばいい。かつて僕はそう思っていた。
ある意味で、その「1984年が続けばいい」との考え方は、支配する側にとって「正しかった」のだが、これを後々に知らされた時の僕はひどく裏切られた気がした。この『とんでもない世界』が、実は虚構の上に成り立っていたなんて。。。
そう、僕の住む東京都は、いや、もっと言えば世界が、「1984年が永久に続く虚構の世界」だったのだ。
少々、前置きが長くなったが、まずは、右に述べた事件の話からはじめたいと思う。
僕が、最初にこの世に疑問を抱き始めた日の出来事である。
小説『一旧八四年』 04へ、つづく


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