Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。
ジョー ジオーウェルの『1984年』のパロディ小説を毎週一回程度、連載していきますので、御高覧の程を、よろしくお願いいたします。
今回は連載
第四回目です。
今回よりも前の話↓
小 説『一旧八四年』 04
ここは、1984年の東京、第三区。
僕=磯辺カツヲの子供の頃からの趣味はと言えば、学校帰りに立ち寄る「例のゴミ捨て場」での「まだ使えるもの拾い」だ。「その日」もまた、僕はいつものようにそのゴミ捨て場へと赴いていた。
第三区のほぼ中央に位置する巨大な焼却施設があって、その近くには区内のあらゆるごみを集める広大なゴミ捨て場がひろがっているのだが、その一区画が、電子機器類が集められる場所になっていて、僕はよく、施設の管理人のおっさんの眼を盗んでは、出入りしていた。その場所は、高さおよそ三メートルほどの鉄柵でかこまれていて、とても乗り越えられたものではなかったのだが、僕は子供の頃から知っている「抜け道」を使ってそこを出入りしていた。
学校が終わったあとの夕方ともなれば、時折、ごみ収集車が通るか通らないかという人気のない路に面したところに、その出入り口はある。「生ゴミ置き場」と「機器ごみ置き場」の境目から、鉄柵の部品を成す鉄棒、それを端から数えてきっかり、きっかり十番目。この部品が、まわすと外れるようになっている。外すと、小柄な僕ならば通ることができる程度の「抜け道」となるのだ。
もっとも中学生になった最近は、頭がひっかかるようになった。満腹になるまで食餌を摂っているわけではないが、まあ、成長期というやつだろう。さすがに、最近は節々も痛くなるようになり、背が伸びているのがなんとなく分かる。
もっとも、この1984年の社会では、「大飯喰らいのでくの坊」は全くもって評価されない。例の『低コスト基本法』に基づく、『低コスト政策』は、誰しも年齢に応じた食餌量をきっかり守らないといけないのである。腹が満たされようが満たされまいが ー 三度の食餌で腹一杯喰ったというヒトの話は聞いたことが無いが ー 皆、与えられた分量の食餌を与えられた量のみ、摂ることを推奨されている。特に、僕の通う中学校の給食というのはその極みである。ヒトによって喰う量などさまざまなはずなのだが、同じ学年の生徒ならば、とにかく、決まったメニューを毎日、決まった分だけ与えられるという決まりなのだから仕方がない。たいていは毎日代わり映えのない、コッペパンとクセのある脱脂粉乳と、野菜があまりはいっていない野菜スープの三点セット、といった定番メニューなのだが。
ちなみに、満たされない分は、「菓子で満たせ」ということらしい。安価な菓子が、一般に出回っている。子供の小遣いで手に入る程度のおやつなのだが、それら「スカスカのスナック菓子」を、いくら喰ってみたところで、実のところ空腹は満たされない。だが、僕ら子供世代は、なぜだか、繰り返し買ってしまう。
僕らの唯一の情報源=偉大な「テレビさま」が、それら「スカスカのスナック菓子」の宣伝を繰り返し繰り返し映像として流しているからだろう。「偉大なるマッカーサー元帥が、ダンディーにばりばりと菓子を頬張るシーン」を繰り返し、繰り返し見せられれば、誰だって喰いたくもなるものだ。もちろん、味付けが実に僕ら好みの濃い味で、学校帰りともなれば、ついつい手を出してしまう。それに、僕らの手に届く範囲の価格設定というのも十分に効いている。僕らはすっかり菓子のトリコなのである。
さて、そうこうしているうちに僕は、くだんの「機器ごみ捨て場」に入り込むのだが、機器、と言ってもそれほどのものが詰み上げられているわけではない。
例によって、『低コスト基本法』に基づく、『低コスト政策』のおかげで、ゴミは「第三区指定のゴミ袋」に入れて出さなければならない。そのゴミ袋というのが、各家庭の家計を圧迫するほどの値段である。たいていの一般人は、ゴミをできるだけ減らす努力をしなければならない。かと言って、勝手に燃やそうものなら、友愛省の警吏がすっとんできて、逮捕されるであろう。「二酸化炭素削減法」の違反により禁固十年は間違いない。よって、家庭で出たゴミのほとんどはできるかぎり、リサイクルに回される。特に、家電製品ともなれば、そのあたりの分別は徹底している。
故障品といった程度であれば、近くの関東州直営の「田中電気」の支店が、ー もちろん、ほどんどタダみたいな値段を吹っかけてくるのは間違いないのだが ー 一応は、買い取ってはくれる。
どぎつい色のハッピを着た「田中電気」の社員のおめがねにすらかなわないレベルの壊れ方というのは、もはや原型をとどめておらず、それも、再利用できそうな部品等をすべてとっぱらったガラクタ中のガラクタである。そんな、どうしようもないゴミが積み上げられているのがここ、「機器ごみ捨て場」なのである。
ところが、そんなガラクタの中にも、時折、修理すれば使えるようなモノが落ちていたりするのだ。主に、電灯や照明器具の類いが多いが、故障したところでそれほど大きなゴミにならないからと、笠の部分とバラして捨てたりするのだろう。大抵は導線が断線していたり、スイッチがすり切れていたりする程度の壊れ方しかしていないので、うまく部品を見繕ってやればどうにか使えるもの修理できてしまう。
僕はそうして毎日、ゴミ捨て場を出入りしては、まだ使えそうなモノを見つけ、それを人知れず修理する遊びに没頭していた。
そんな折、僕はその鉄柵の中の一区画で、意外なモノを拾ったのだった。
小説『一旧八四年』 05へ、つづく


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