連載小説『一旧八四年』の最近のブログ記事

Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。

ジョー ジオーウェルの『1984年』のパロディ小説を毎週一回程度、連載していきますので、御高覧の程を、よろしくお願いいたします。

今回は、連 載 第九回目です。


ちなみに、次回の十回目で一区切りをつけ、また新しい別の『一旧八四年』のシリーズを始める予定です。

今回の十回のセットは『人間牧場物語編』とでもしておきます。


今回よりも前の話↓

小説『一旧八四年』 01

小 説『一旧八四年』 02

小 説『一旧八四年』 03

小 説『一旧八四年』 04

小 説『一旧八四年』 05

小 説『一旧八四年』 06

小 説『一旧八四年』 07

小 説『一旧八四年』 08


小 説『一旧八四年』 09


 すると、教壇に立つ教師、
「なるほど。一理ある」
 と、何喰わぬ顔。
「先生は用事を思い出したから、職員室に行ってくる。先生が戻るまで、君たちはいまの件について、議論でもしていてくれたまえ」
 教師は、そう言い残すと、そそくさと教室を出て行ってしまった。

 そうすると、当然と言えば当然だが。教室に残されたみんなの視線が一斉に僕に向けられたわけである。
 僕はいったいどうしたらいいか分からなかった。
 しかし、教師が「一理ある」とのたまったくらいだから、僕が疑問に思ったことについて全く否定的ではない、とも思えてくる。
 この教室にいる連中にも、僕の思うところ=「宇宙人が地球を侵略する必要性のないこと」に理解を示す奴はいるのではないか。僕はそんな淡い期待を抱いたわけだが、これはすぐに甘い考えであることが露呈した。

「カツヲくん。宇宙人はね。地球に攻めて来たんだ。だって、そう教科書に書いてあるじゃあないか」
 となりにいた同級生が、戦前の頃の白黒写真が乗ったページをこれみよがしに見開いて、僕の目前にずいずいと近づけてきた。写真は、宇宙人の乗り物=UFOから浴びせられた光線が、真珠湾の連合国軍の艦隊を破壊しているの図。しかし、この写真がねつ造でない保証などない。

「カツヲくん。テレビもそういってる。戦中にUFOを全てNWO軍に撃ち落とされ、惑星に帰れなくなった宇宙人が、いまでも、僕らの前に出てきて悪さをするんだ。昨日だって、隣の区で宇宙人による爆破事件があっただろう? テレビで言っていただろう?」
 自分たちの住む東京三区以外のところで起こる情報は全てテレビに頼らねばならない。三区をぐるりと囲む巨大な壁の向こうのことなど、ここにいる『丙』レベルの市民の誰一人としてその目で見たことがないのにも関わらず、この生徒は、「さも自分が見てきた」かのように言う。
 それだけ、僕らの唯一の情報源=テレビさまが僕らの考え方を支配していると言ってよい。

「それとも、カツヲくん。君は、先生の言うことや、教科書、テレビの言うことが嘘だというのかい?」
 とにかくこの調子である。疑うことを知らないのだ。
 生まれてきてこのかた、ずっと言い聴かせられ、頭の中に構築してきたこの世の中に関する彼らのイメージを、つき崩してしまうような僕の発言は、とうてい彼らには聞き入れられるものではないらしい。
 そもそも、うっかり口にした、宇宙人の侵略の可能性についての議論など、どこへやら。はなから議論などするつもりはないらしく、地球人の憎き敵=宇宙人が絶対的に存在することを前提に、彼らの知る常識を無理矢理にも僕に納得させようとしている。

 皆がよってたかって、孤立する僕に言い浴びせている中、授業の鐘が鳴った。というより、鳴ってくれたと言う方が正しい。

 それと同時に、教師が戻ってきて、僕の回りを囲んでいた同級生たちが、四散し、ようやく僕は連中の「言い聞かせ爆撃」から解放された。

 ところで、そのとき僕は、教師から職員室あたりに呼びつけれることくらいは覚悟したのだが、特になんの音沙汰もなく、その後、もう一時限、別の授業を受けると、あっさりと下校時間となった。

 この世の中の根底を覆すような発言をうっかりと漏らしてしまった僕だが、まったくもって何のお咎めもないのは、正直、不思議で仕方のないことだが、何もないことにこしたことはない。
 僕は安堵し、帰路についたわけが、すぐにその考えが甘かったことを思い知らされることになる。


 僕がいつものように習慣化しているコンビニへと入り、菓子を買うという行為が、この日に限って遂行できなかったのだ。

 例の、やたらと味の濃い、スカスカの菓子をレジに持っていき、店員からIDカードの提示を求められたので、それをカードリーダーにスキャンした。このIDカードは東京都市民たるもの常に肌身離さず持ち歩いていなければならない身分証であることは既に述べたが、同時に、モノを買う唯一の手段でもある。東京都では、このIDカードを用いた電子決済のみが認められるわけで、このカードがないとモノも買えぬとはそういうことだ。
 
 さて、IDカードをカードリーダーにスキャンすれば、いつもであれば、一瞬にして決済が完了するはずが、この時は、エラー音がけたましく鳴り響くだけであった。

「偽造じゃあないみたいだな」
 すぐさま、僕のカードをひったくった店員は、カードがはたして本物かどうかじっと観察した。が、どうやら偽造ではないらしいとのこと。
「とすれば、残高が足りないんじゃあないのかい?」
 店員は、そう言いながら、僕にカードを投げて返した。
「いや。そんなはずは。。。」
 断じてない。先週、父ちゃんの銀行口座から小遣いを振り込まれたばかりだ。毎週第三土曜日がぼくの小遣い日。その日に、僕のカードに電子的に金銭の授受をするように設定されているのだ。事実、昨日だってまだ、菓子くらい買えるだけの十分な残高が残っていることは確認した。普段は物覚えが悪い僕でも、金銭勘定を間違えるほど衰えてはいない。

「じゃあ。両親の税金とか、公共料金の滞納とか? はたまた脱税とか?」
 店主はあらゆる可能性を口にしたが、どれもあり得ない。
 この東京都ではあらゆる支払いが電子決済で管理されている。各家庭が開設した銀行口座から、毎月決まった日に、各種公共料金ならびに税金は引き落とされる。金銭のやり取りは全て、自治体のコンピュータにより電子的に管理されているから、脱税など行いようがないし、滞納もありえない。口座残高がゼロになれば話は別だが、父ちゃんは今日もばりばり仕事で、それこそ死ぬ思いで働いているだろう。
「じゃあ、友愛省のヒトに来てもらう?」
 店員は意地悪っぽく言った。何かあれば、店員はすぐ警吏を呼ぶなどと言うから困る。
「い、いいえ。結構です」
 僕は、即座に断って店を出た。菓子が買えないくらいはなんとか我慢できる。それにIDカードのトラブルでまた、友愛省の警吏に職務質問を受けて、怒り狂った父ちゃん母ちゃんに迎えにきてもらうなど、まっぴらごめんである。

 電子的な決済のトラブルは珍しいことでもないらしい。カードが故障したというのが一番ありうる線だ。僕はとりあえず帰宅し、その辺のことを母ちゃんに聞いた上で処置を考えることにした。
 路面電車通学ともなると、IDカードが仕えないともなるとやっかいだが、あいにく僕は、自宅まで徒歩だから、IDカードなしでも別に困ることはない。

 そんなわけで、歩いて十分も経たぬうちに、自宅前に到着した。
 が、どうも自宅前がただならぬ様子。

 なぜなら、自宅前の幅の狭い道路を、友愛省の警吏の白バンがふさいでいたからである。

 どうやら、これはただごとではなさそうだ。


小 説 『一旧八四年』 10へ、つづく

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今回は、連 載 第八回目です。


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小説『一旧八四年』 01

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小 説『一旧八四年』 06

小 説『一旧八四年』 07


小 説『一旧八四年』 08


 一番、極端な、世の中の『裏』とは、「歴史は勝者がつくる」という言葉に見てとれる。

 くだんのゲーム=『動物牧場物語』において、「ダヴィストック研究所所長」の力を介して、敵対買収を行った企業は、そのライバル企業については、この上なく口汚くののしり、その一方では、自社の経歴については、クリーンなイメージを世間に徹底して周知させる。プレーヤーはメディアを通じて大々的に宣伝することで、クライアント企業のお手伝いを遂行していくのだが、うまく大衆を丸め込む事が出来れば、各種洗脳実験やメディア操作のための研究資金等、多額のご褒美が貰えるというしくみだ。

 これこそまさに、「歴史は勝者がつくる」の典型だろう。極端な話、プレーヤーは歴史を改ざんしている、あるいは、勝者に沿ったねじ曲げた解釈を施していることになる。

 「歴史は勝者がつくる」という事例を、さらに端的に見る事ができるのは国家間の紛争だ。

 ゲームの中で、「ダヴィストック研究所」が存在する場所は1984年現在で言うところのブリタニア合州国である。そのゲームの中においては、「紳士の国」と呼ばれる国に寄生している同研究所は、同国が間接的に支配している「自由の国」という大国を操り、例えば、「ジャガイモとビールの国」や「日いづる国」といった覇権国として台頭しつつある国々をうまく誘導して戦争に引きずり込み、世界大戦を引き起こすという荒技をプレイできる。
 もちろんこのとき、相手国の方から攻め込んでくるように、うまく諜報活動を駆使しなくてはならず、決して、あからさまに、自国から攻めてはならないのだ。しかるべき開戦理由が必要となるわけだが、そうすると、一度、自国が敵国による「卑怯な奇襲攻撃」を経験すれば、戦争をおっぱじめることを渋っていた世論は簡単に「開戦すべし」という主戦論へと変貌を遂げる。なかなか、うまいテクニックだ。だが、こうやって「卑劣な敵」像を世間に指し示してやらないと、ヒトビトは戦争へとかり出されることに、納得してくれないのである。逆に言えば、一般人の恐怖心をあおることに成功すれば、連中はいつだって快く、戦争ごっこに協力してくれるのだ。
 とにかく、まんまとその罠にはまり、戦争をおっぱじめてしまった国というのは大抵、大負けに負け、戦後は、戦勝国=「自由の国」と「紳士の国」とに徹底しておとしめられる。勝者がその戦争の経緯を、勝者の視点で描き、それをメディアを通じて宣伝すれば、たちどころに勝者が「善」となり、敗者は「悪」となる。といった寸法だ。
 それらをゲームを通じてではあるが実践していくにつれ、この1984年の現在もまた、実は、そういった、意図的に造り出された「善」と「悪」があるのではないか、などと、僕は考えるようになってしまうのである。

 いや。すでに、僕は疑い始めている。

 たとえば、教師がビックブラザーの生い立ちを延々と続けている只今、話は自然と、例の「宇宙人VS地球人」の内容にさしかかるのだが、この二つの勢力の対立構図がまさに「善」と「悪」の二元論に集約されていることは興味深い。

 教師が言うには、地球へと突如として進攻し、人間狩りを始めた宇宙人が、ビックブラザー率いるヒーローたちによって撃滅した、とのこと。

 これが仕組まれたものと仮定すれば、しつらえられた「善」と「悪」とは、前者はまさに、ビックブラザー率いるヒーローたちであり、後者は、宇宙人である。
 とすれば、やはり、両者の戦いを仕組んだ連中が、ビックブラザーの陣営にいた、あるいは今でもいるということはありうる話。それが事実かどうかは、どうしたって想像の域を出ないのだが、かといって、教師の話を鵜呑みにすることなんて絶対に御免だ。
 それに、なにやら、講義を聴いているうちに、いても立ってもいられなくなってくるのである。

(教育を通じて、僕らは勝者の歴史を叩き込まれている!)

(そもそも、宇宙人が地球を侵略するメリットなど全くない!)

(地球人を皆殺しにできるテクノロジーがあるなら、他の惑星を侵略してくる理由なんて一つも見当たらないのだ!)

 そう思うと、だんだんと腹が立ってくる。よせばいいのに、生徒に虚構を教え込もうとする教師に対し、いたずらに反発心が涌いてきたのである。

「先生。そもそも、宇宙人が地球に攻めてくる理由がありません」
 僕は、手を高々と上げ、言った。

 言ってしまった。

 うっかりにもほどがある。

 しばし、教室は水をうったように静かになる。

 ああ。言ってしまった。
 たまらず、僕は言ってしまったのだ。
 言ってはいけないことを。

 これで僕は、友愛省に逮捕される。

 皆が、眼を見開いてこっちを見ている。
 教師が、口をぽかんと開けて上の空。

 言ってはいけないこと過ぎて、僕が何を言ったのか、彼らは理解すらできぬのだろうか。

 さぞかし、「死亡フラグ」が僕の頭の上で、これみよがしにはためいているに違いない。


小説 『一旧八四年』 09へ、つづく

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今回は、連 載 第七回目です。


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小説『一旧八四年』 01

小 説『一旧八四年』 02

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小 説『一旧八四年』 05

小 説『一旧八四年』 06


小 説『一旧八四年』 07

於 かもめ第三中学校 教室

 ここは、1984年の東京、参区。

 その日、僕は午後の授業を、まどろみながら受けていた。

 僕が通う、かもめ第三中学校は、東京都第三区に五つほど有る中学校のうちの一つで、生徒数にして400名ほどのよくある中学校だ。
 中学校の数が五つしかないことに読者は違和感を感じるかもしれない。しかし、三区にはそれほどの数の子供がいないのだ。
 近年の東京都は戦後以来、『優勢保護法』ならびに『低コスト政策』が効を奏し、出生率が順調に低下し、子供の数は年を追うごとに減っている。前者=『優勢保護法』が定めるところの、遺伝子上に欠陥のある胎児を、妊娠時に中絶することを奨励しているのと同時に、後者=『低コスト政策』では、世帯ごとの収入に応じた出生数が細かく取り決められており、同法に従った、出生制限がなされている。もっとも、夫婦共働きで収入を確保したところで、忙しい両親は大抵は子育てする余裕もないわけであるから、「そもそも、子供を産まない」と、あらかじめ決める若い夫婦も多いらしい。「地球の資源は有限」だからということで、その地球の資源規模から勘定した「適正人口は、七億人である」というWHO(World Health Organization=世界保健機構)の全世界的な提言を採択した各地域は、きっちりと人口削減を目指しているのだそうだ。東京都もその取り組みに従い、僕の知る限り、この二つの法律のおかげで、東京都三区での出生率は十年前から三〜四割も減ったというのである。

 ともあれ、午後の授業である。

 おおよそ上で述べたような、新世界秩序のしくみと、新世界秩序の偉大なる統治者=ビックブラザーの生い立ちについて教師がえんえんとしゃべっている、という、よくありがちな授業風景。回りの学徒たちは熱心に耳を傾けているようだが、僕の耳には通って抜けるだけ、頭にからっきしも残らない。
「そんなもん、覚えたところでねえ。。。」
 どうしようもないだろう。と、知覚器官からの入力情報にフィルターがかかっている節がある。
 僕はそもそも、生まれつき物覚えがいいほうではない。特に、興味のないことについては、三歩どころか三秒で忘れる。なんとか覚えたことも抜けて行ってしまう物覚えの悪さに加え、最初から眼にすら入らない、耳にも入らない。だから、僕の頭の中は何も通らないし、残らない。学校の成績は、『マラソン』レベル。つまり、評価は『1』か『2』ばかりだということだ。マラソン、マラソン、1、2、1、2。
 もちろん、成績付けは、『十段階評価』の成績である、ということは言うまでもない。
 おお、そうだ。
 誤解の無いように言っておく。こんな頭の悪い僕でも、ちゃんと評価『10』を採ったことのある科目もある。
 保健&体育だ。
 特に、『性行為』に関する部分がテスト範囲だったときはすごかった。僕だけ百点。その時の偏差値は80。数学的に言えば、偏差値70は『異常』に区分されるのだが、それをはるかに上回る、偏差値80という数字をたたき出してしまった僕はなんだろう。『異常』をも凌駕するする存在。僕は、『性行為』に関する神だろうか。駄菓子屋においてあるアーケードゲーム=インベーダーでも、神にも匹敵するような高得点はたたき出せない。
 ちなみに、自慢ではないが、保健&体育の片割れ、つまり、かんじんの体育の方はいまいちだ。保健&体育は、保健と体育が抱き合わせなので、いつも体育の授業で足を引っ張られてしまうから、運動神経が最悪な僕が、評価『10』をとれたのは奇跡に近い。マリア像が涙を流すレベルに匹敵する、と僕は思い込んでいる。

 かくして、僕はいつものように、だるだると授業を聴いていたのだが、もうひとつ、僕が集中できない理由があった。

 例の『人間牧場物語』の話である。
 とにかくこのゲームのことで、常に頭がいっぱいだった。

 かの、イササカ先生のところで、そのゲームの存在を知らされたのは一週間ほど前。以来、僕はイササカ先生の、
「どうぞ。けけけけ」
 という、例によって耳障りな笑い声とともに、快く(?)承諾を得たことにより、イササカ先生のパソコンを借り受けることに成功したのであった。ここ一週間、僕は、家族の目を盗んでは、ゲーム『人間牧場物語』をプレイし続けた。

 ルールは明快である。 
 プレイヤーは「ダヴィストック研究所所長」となり、世界に秩序をもたらすことにある。
 この時、プレイヤーに様々な依頼をしてくるのが、世界の富のうち七割を占める三割の富豪、財閥たちのいくつかである。彼らの意に沿った形で、依頼人のライバル企業を破滅に追いやり、時には買収し、また、 テレビ、映画、音楽といったメディアを通じて、虚構を想像し、大衆を操作、誘導し、政治家を賄賂で籠絡し、依頼人の影響力をより高め、時にはその資金源を効率的に得るために、銀行家たちをして麻薬マネーを資金洗浄するのを手伝ってやり、最終的に彼ら依頼人たちが住みやすい世の中=多国籍企業数社が独占する社会主義体制、あるいは管理統制社会の完成に向けてプレイヤーは邁進していくのである。

 かくして、授業などを聴いている暇などない。
 家に帰り、パソコンの電源を入れたら、
(どうやって、無駄飯喰いどもの口減らしをしようか)
 などと考えるのに忙しいのである。

ところで、 僕は、この時、世の中の『裏』を知り始めていたのだが、まだそのことにはっきりとは気づいていない。しかし、無意識にも『裏』を知り始めると、いままで耳に入って抜けるだけであった『表』の話を、疑いの眼を持って聴けるようになってくるのである。


小説 『一旧八四年』 08へ、つづく

Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。

ジョー ジオーウェルの『1984年』のパロディ小説を毎週一回程度、連載していきますので、御高覧の程を、よろしくお願いいたします。

今回は、連載 第六回目です。


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小説『一旧八四年』 01

小 説『一旧八四年』 02

小 説『一旧八四年』 03

小 説『一旧八四年』 04

小 説『一旧八四年』 05


小 説『一旧八四年』 06


於 イササカ邸

「で、なにかね?」
 と、客間のテーブル越しに、向いのソファーからイササカ老人は、ぬっと、身を乗り出してきた。いまにも飛び出さんばかりの眼で僕の顔をじっと見つめ、その顔は地面に対して垂直でない。斜め三十度、上半身が常に傾いているのがなんとも不気味な御仁である。
 そう。僕は、いま、かのイササカ邸にいるのである。ゴミ捨て場で拾ったくだんのコンパクトディスク=『人間牧場物語』について何か知るところがないか、訊くためである。
 先に述べた通り、イササカ老人は、いささか、その狂態ぶりもあってかご近所からは敬遠されている。
 本来ならば僕としても、イササカ先生とは距離を置きたいところだが、いかんせん、「過去の遺物」について多くを語ってくれそうな人物といえば、彼を差しおいて他にいない。このところ、多くの老人たちが、イササカ老人を除いて、くだんの「白バン」に乗っけられてしまったから、というのも既に述べた通りである。

「これです」
 僕は、ことのあらましを説明するより前に、まずはモノを見せた方が良かろうと思い、例の『人間牧場物語』が印字されたコンパクトディスクを、ツト、テーブルの上に差し出した。
 見るなり、イササカ老人の眉間がぴくぴくと動いた。
(図にあたった!)
 何か思いあたるところがあるのだろうと、僕が考え至るやいなや、
「クエー!」
 と、イササカ老人が斜め四十五度まで体を倒しつつ、奇声を発しはじめたのである。
 
 僕は思わずのけぞっった。これはさすがに、身の危険を感じざるを得ない。

「クエー! クエー!」
 と、イササカ老人はなおも叫び続ける。ついにイカレてしまわれたのであろうか。口からよだれを垂らしつつ、奇声を発するその姿は、なにやら屠殺される家禽の類いを彷彿とさせる。
 そのニワトリ然とした、イササカ老人が今度は、あろうことか僕の肩をぐいとつかみ、ぐらぐらと揺らしてきた。
「オマエー。これをどこで。どこでひろったんじゃあああー!」
 おぞましいほどの興奮の度合いである。老人のつめが肩に食い込んできて実に痛く、僕は顔をしかめるのだが、彼は容赦せずになおも力を込め、さらに激しく僕を揺らせてくる。
「話します。話しますから、おちついてください」
 と制止し、やっとのことでこの老狂人を引きはがし、ソファーに座らせ落ち着かせると、僕は順を追って、『人間牧場物語』を手に入れた経緯を説明した。

「イササカ先生。いろいろとご存知とお見受けしますが、これは何です? 前に言っていた音楽CDとか言うやつですか?」
 と、僕が最後に訊くと、
「いいや」
 と、イササカ先生。首を横に振った。
「これは、ゲームだ」
 イササカ先生はCDを拾い上げ、懐かしそうに眺めた。
「わたしは、このゲームをやったことがある。。。」
「はあ。。。」
 荒唐無稽な話になってきた。僕はどう答えてよいか分からない。繰り返し言うが、この1984年のビデオゲームといえば、ファミコン程度である。
「このソフトを起動できるハードを、今もわたしは、持っているのだよ。けけけけ」
 イササカ先生は体を傾けたまま、首をゆらゆら揺らし、耳障りな笑い声を発する。
 興奮したイササカ先生にまた組み付かれそうな気配がしたので、僕は身構えた。身構えつつ、
(そんなハードがあるなら、見せてみろ!)
 と、心の中で悪態をついた。
「やってみるかね? ゲーム、『人間牧場物語』。。。」
 僕の心中を知ってか知らずか、イササカ先生は意外な提案をしてきた。
「今ですか?」
「もちろんだとも。ただし」
 と、イササカ先生は人差し指を立て、ずいっと僕の目の前まで手を伸ばした。僕はかたずをのんで、老人の次の言葉を待った。
「ただし、このゲームをプレイしたら、カツヲ君。君はもう、この世界では生きてはいけないだろうね。けけけ」
 と、あざけるように笑いながら、ひらりと、イササカ先生は身を翻し、上半身を斜め三十度に傾けながら、へこへこ、と歩き去り、奥の部屋へと消えていった。僕が注意深く、彼を追うようにしてその部屋に入ると、そこは、様々な機器が積み上げられた部屋。
 僕がこれまで見た事も無いような機器が山と詰まれ、その中で、
「アレはどこだー。クエー!」
 っと、イササカ先生が騒いでいる。
 やがて、
「ああ。あったわい。あったわい。けけけけ」
 と、イササカ先生が満面の笑みを浮かべながら、B5版ノートほどの大きさの機器をもってきた。
 彼が言うには「パソコン」と呼ばれる機器らしく、本来はゲーム機ではないらしい。パソコンとはパーソナルコンピュータ。一応、この時代にもパーソナルコンピュータというものがあるにはあるが、僕のまわりには、ベンゾウさんという電子機器オタクの万年浪人生くらいしか、パーソナルコンピュータを持っているヒトはいないし、第一、ベンゾウさんちのパーソナルコンピュータは、ブラウン管のどでかいディスプレイと、計算機の巨大な箱で、とても持ち運べるものではない。イササカ先生のパソコンは、ラップトップパソコンとか言うシロモノで、薄くて軽い。B5版ノートほどの大きさだから持ち運びもできそうなほどである。

さて、このパソコンを立ち上げた後に、CDを挿入するドライブにて『人間牧場物語』を起動した。

 ディスプレイに現れたのは、
『Hello. New World Oder!』
 の横文字。

 僕は、画面上、
『New Game』
 の所にカーソルを合わせた。

「けけけ。ようこそ。新世界秩序へ。カツヲ君。もう一度警告するよ。これをクリックしてしまったら、君、もう、この世の中では暮らしていけないよ? いいのかい? いいのかい? けけけけ」
 このいかがわしい笑い声は、かえって僕にとっては挑発的に聞こえたということもある。僕は、その返事の代わりにと、カーソルをしっかりとクリックしていた。

『君は今日から、ダウィストック研究所の所長となり、この世界に新しい秩序をもたらすことを目指して欲しい』
 との、メッセージが表示された。
『所長の名前は?』
 ゲームの主人公の名前入力らしい。
『カツヲ』
 と、僕は迷わず打ち込んだ。
「けけけ。知らんぞ。カツヲ君。君はもう引き返せないね。ようこそ、新世界秩序へ。けけけ」
 イササカ先生は、なぜかうれしそうに機器の詰まれた部屋中を飛び回り、はしゃぎまわった。

 僕は、老人にかまわずにゲームの中のダヴィストック研究所所長に、僕自身を重ね合わせ没頭していくのであった。

小説 『一旧八四年』 07へ、つづく

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今回は、前回から一週間以上も間が空いてしまいましたが、連載 第五回目です。


今回よりも前の話↓

小説『一旧八四年』 01

小 説『一旧八四年』 02

小 説『一旧八四年』 03

小 説『一旧八四年』 04


小 説『一旧八四年』 05

 意外なモノ、とは、この1984年には普通には手に入らないものである。それは昼下がりの日の光を受けて、きらきらと鏡のように反射させていた。機器類のゴミ捨て場とはいえ、ガラス製品か何かが捨てられていたのかと思い、僕はそのモノに近づいた。

 詰まれたゴミの上に無造作に置かれていたのは、手のひらよりやや大きめの、銀色にきらめく円盤状の板。板といっても数ミリ程度の厚さで、プラスチックの透明ケースに、ぴたりと納まっている。

 この、あやしげなモノを僕は手に取り、ケースごと裏返すと、裏側の円盤状の板は表面に褐色の塗装があって銀色ではない。だいぶ色あせているが十分に読むに耐えうる、

 『人間牧場物語』

 の文字。

 僕はこれが何なのか、さっぱりわからなかった。今しがた、銀色の方を僕は「表」と書いたが、実は印字してあるほうが「表」かもしれない。

 そういえば、例の痴呆老人たちが、語っていた与太話に、この手のひらにのりきるか、のりきらぬか程度の大きさの円盤状の板がよくでてきていたことを、僕は思い出した。

 彼らが若い頃に普及していたという、音楽データを入力しておく記憶媒体=コンパクトディスク(CD)の与太話である。ちょうど僕が見た形状と、彼ら老人たちが述べた形状とが一致している事に僕はわずかながらに興奮を覚えるわけだが、同時に、

「そんなものが、あるわけがないだろう」

 と、ふと、懐疑的になったりもするのである。

 懐疑的になるのも無理からぬことである。なぜならば、1984年の現在、「個人が音楽を所有する」という概念がそもそもないからである。

 音楽とは、僕らの唯一の情報源である「テレビ様」からのみ流れてくる一過性の娯楽であり、あるいは、近所のコンビニ、近所のパチンコといった限られたところで、限られた音楽しか流れない。大概は、テンポがやたらと速いせかすような音楽ばかりで、聞いていると、だんだんと物事を考えるのがうっとうしくなってくるとか、無気力になってくる気がするのだが、ものごこころついたころから、その種の音楽ばかりを聞かされて育ってきたこともあってか、特別になにか思うわけでも、嫌気がしてくるわけでもない。まあ、そんなものかと思う程度である。

 対して、老人たちの「若かりし頃」という例の与太話によれば、彼らはCDというモノに保存された音楽を、適切な端末さえ有れば好きな時に好きな場所で再生できるというのだから驚くべきほど便利なものである。

 しかし、1984年現在の僕らが、そいいった「音楽の所有」をとやかく言う意味はあまりない。繰り返しになるが、流れてくるのはいつも同じ音楽。聞き飽きた、どうということもない音楽で、音楽というものがそれ以外に存在するとも思っていないのである。

 
 ところで、老人たちの、この与太話には音楽の話では終わらない。ゲームの記憶媒体としての側面である。

 コンパクトディスクに保存できるのは、当然のことながら音声情報だけではない。画像情報も保存できる。音楽と画像が組み合わされば、ビデオゲームもできる。

 痴呆老人たちの絵空事とも言えるような、卓越したグラフィックスを駆使したとんでもないゲームがもしかするとこのコンパクトディスクの中にあるのかもしれない(この予想は後に正しかった事がわかるのだが)。僕は、ゴミ捨て場で見つけたコンパクトディスクを、躊躇することなく、ぼろぼろであちこちすりきれた、何世代も前からのおさがりの学生鞄の中に滑り込ませた。

 もしかすると、僕はすごいヤバいものを拾ったのかもしれない。

 そう思うと、なにやら心拍数が急激に増大してゆくのだが、もはや後には引けない。鞄には「ブツ」を、もうすでに入れてしまった。「ヤバい」というのは、東京都の治安を維持している友愛省の役人たちのことである。一般家庭に普及しているモノ=一般的な商業施設にある日用品の類いから「逸脱したモノ」を保持しているだけで、しょっぴかれるという話を聞いたことがある。その噂に照らし合わせると、ゴミ捨て場に捨てられていた、「人間牧場物語」と書かれただけの、ただの銀色の円盤でしかないこの「ブツ」も、携帯して歩いてるのが見つかれば、しょっぴかれるかもしれないという構図が、直感的にではあるが僕の頭に浮かび上がってくるのである。

 僕は鞄を抱え、ゴミ捨て場を後にした。上に書いたような冒険心的なヤバさと、あふれんばかりの好奇心で思わず駆け出していたのだ。向かう先はもうすでに決まっている。この「人間牧場物語」を手にした時から、僕の脳内には、あの狂人じみた老作家=イササカ先生の姿が浮かんでいた。
 彼ならば、何かを知っているかもしれない。僕は、イササカ邸まで走った。

小説『一旧八四年』 06へ、つづく

Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。

ジョー ジオーウェルの『1984年』のパロディ小説を毎週一回程度、連載していきますので、御高覧の程を、よろしくお願いいたします。

今回は連載 第四回目です。


今回よりも前の話↓

小説『一旧八四年』 01

小 説『一旧八四年』 02

小 説『一旧八四年』 03


小 説『一旧八四年』 04

 ここは、1984年の東京、第三区。

 僕=磯辺カツヲの子供の頃からの趣味はと言えば、学校帰りに立ち寄る「例のゴミ捨て場」での「まだ使えるもの拾い」だ。「その日」もまた、僕はいつものようにそのゴミ捨て場へと赴いていた。
 第三区のほぼ中央に位置する巨大な焼却施設があって、その近くには区内のあらゆるごみを集める広大なゴミ捨て場がひろがっているのだが、その一区画が、電子機器類が集められる場所になっていて、僕はよく、施設の管理人のおっさんの眼を盗んでは、出入りしていた。その場所は、高さおよそ三メートルほどの鉄柵でかこまれていて、とても乗り越えられたものではなかったのだが、僕は子供の頃から知っている「抜け道」を使ってそこを出入りしていた。

 学校が終わったあとの夕方ともなれば、時折、ごみ収集車が通るか通らないかという人気のない路に面したところに、その出入り口はある。「生ゴミ置き場」と「機器ごみ置き場」の境目から、鉄柵の部品を成す鉄棒、それを端から数えてきっかり、きっかり十番目。この部品が、まわすと外れるようになっている。外すと、小柄な僕ならば通ることができる程度の「抜け道」となるのだ。

 もっとも中学生になった最近は、頭がひっかかるようになった。満腹になるまで食餌を摂っているわけではないが、まあ、成長期というやつだろう。さすがに、最近は節々も痛くなるようになり、背が伸びているのがなんとなく分かる。

 もっとも、この1984年の社会では、「大飯喰らいのでくの坊」は全くもって評価されない。例の『低コスト基本法』に基づく、『低コスト政策』は、誰しも年齢に応じた食餌量をきっかり守らないといけないのである。腹が満たされようが満たされまいが ー 三度の食餌で腹一杯喰ったというヒトの話は聞いたことが無いが ー 皆、与えられた分量の食餌を与えられた量のみ、摂ることを推奨されている。特に、僕の通う中学校の給食というのはその極みである。ヒトによって喰う量などさまざまなはずなのだが、同じ学年の生徒ならば、とにかく、決まったメニューを毎日、決まった分だけ与えられるという決まりなのだから仕方がない。たいていは毎日代わり映えのない、コッペパンとクセのある脱脂粉乳と、野菜があまりはいっていない野菜スープの三点セット、といった定番メニューなのだが。

 ちなみに、満たされない分は、「菓子で満たせ」ということらしい。安価な菓子が、一般に出回っている。子供の小遣いで手に入る程度のおやつなのだが、それら「スカスカのスナック菓子」を、いくら喰ってみたところで、実のところ空腹は満たされない。だが、僕ら子供世代は、なぜだか、繰り返し買ってしまう。

 僕らの唯一の情報源=偉大な「テレビさま」が、それら「スカスカのスナック菓子」の宣伝を繰り返し繰り返し映像として流しているからだろう。「偉大なるマッカーサー元帥が、ダンディーにばりばりと菓子を頬張るシーン」を繰り返し、繰り返し見せられれば、誰だって喰いたくもなるものだ。もちろん、味付けが実に僕ら好みの濃い味で、学校帰りともなれば、ついつい手を出してしまう。それに、僕らの手に届く範囲の価格設定というのも十分に効いている。僕らはすっかり菓子のトリコなのである。
 
 さて、そうこうしているうちに僕は、くだんの「機器ごみ捨て場」に入り込むのだが、機器、と言ってもそれほどのものが詰み上げられているわけではない。

 例によって、『低コスト基本法』に基づく、『低コスト政策』のおかげで、ゴミは「第三区指定のゴミ袋」に入れて出さなければならない。そのゴミ袋というのが、各家庭の家計を圧迫するほどの値段である。たいていの一般人は、ゴミをできるだけ減らす努力をしなければならない。かと言って、勝手に燃やそうものなら、友愛省の警吏がすっとんできて、逮捕されるであろう。「二酸化炭素削減法」の違反により禁固十年は間違いない。よって、家庭で出たゴミのほとんどはできるかぎり、リサイクルに回される。特に、家電製品ともなれば、そのあたりの分別は徹底している。

 故障品といった程度であれば、近くの関東州直営の「田中電気」の支店が、ー もちろん、ほどんどタダみたいな値段を吹っかけてくるのは間違いないのだが ー 一応は、買い取ってはくれる。
 どぎつい色のハッピを着た「田中電気」の社員のおめがねにすらかなわないレベルの壊れ方というのは、もはや原型をとどめておらず、それも、再利用できそうな部品等をすべてとっぱらったガラクタ中のガラクタである。そんな、どうしようもないゴミが積み上げられているのがここ、「機器ごみ捨て場」なのである。

 ところが、そんなガラクタの中にも、時折、修理すれば使えるようなモノが落ちていたりするのだ。主に、電灯や照明器具の類いが多いが、故障したところでそれほど大きなゴミにならないからと、笠の部分とバラして捨てたりするのだろう。大抵は導線が断線していたり、スイッチがすり切れていたりする程度の壊れ方しかしていないので、うまく部品を見繕ってやればどうにか使えるもの修理できてしまう。

 僕はそうして毎日、ゴミ捨て場を出入りしては、まだ使えそうなモノを見つけ、それを人知れず修理する遊びに没頭していた。

 そんな折、僕はその鉄柵の中の一区画で、意外なモノを拾ったのだった。

小説『一旧八四年』 05へ、つづく

Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。

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小 説『一旧八四年』 02


小 説『一旧八四年』 03

 ちなみに、僕のIDカードの身分は『丙』レベル。東京都の条例で定められている『甲』、『乙』、『丙』の三種類のうち、三番目。一番下っ端だ。ただし、一番下っ端だろうが、特権階級だろうが、東京都民たるもの、常にIDカードを携帯していないと、カード不携帯で、友愛省の警吏に職務質問されてしまう。

 そもそも、IDカードを常に肌身離さず持っていないと、唯一の交通手段=路面電車にも乗れないし、職場や学校にも入れないし、もちろん、買い物すらもできない。

 とは言うものの、たとえ、カードを忘れ、捕まったとしても、友愛省の役人が、コンビニなどで使っているバーコードリーダーみたいな機械を、左上腕にかざすだけで、身元は確認できるので安心といえば安心だ。

 もっとも、この身元確認方法は、IDカードよりもはるかに進んだ、おどろくべき「仕掛け」があるのだが、それについては、もう少し後に述べることにする。

 ちなみに、保護されたカード不携帯者については、友愛省からの連絡が家族に入り、すぐに、家のヒトが出頭するように要求される。家族に迎えにきてもらえるというわけだ。もちろん、その後、僕の場合だったら、父ちゃんと母ちゃんにこっぴどくしかられるのだけど。

 実を言えば、僕も、すでに一度、カード不携帯で、友愛省にとっつかまったことがある。迎えにきた両親はさすがに頭にきたらしく、その日は「食事抜き」の憂き目にあってしまった。

 父ちゃんいわく、「犯罪履歴の多い家族がいるというだけで、会社の昇進に響く」のだそうだ。
 カード不携帯が犯罪とは少々大げさな気はするが、サラリーマンというのも大変なものだ、と子供ながらに思う。

 ちなみに、僕の父ちゃんは、磯辺ナミヘイ。

 口癖は、「バカモン!」「けしからん!」「いい加減にせんか!」の三つ。家族の中でも僕だけにとくに浴びせられる罵声でもある。

 父ちゃんは、山川商事の課長を務めている猛烈サラリーマンだ。仕事だけが生き甲斐の猛烈サラリーマンで、朝早く家を出、終電で飲んだくれてかえり、休日も出勤するほどの仕事熱心ぶり。ひと月あたりの、残業時間はゆうに百時間を超えているらしい。何をしているのかは、子供の僕にはよくわからないのだが、「書類を作成するのに忙しい」とのこと。仕事とは、「書類をつくる」ことなのだろうか。もちろん、その百時間分の残業代は、支給されない。管理職だからである。

 課長というのはとにかく忙しいらしい。その仕事がおいつかないからと、父ちゃんは、「脳内の神経伝達物質の分泌を促進する」などの能書きのある、怪しげな薬を毎日、服用している。その薬は決して安いモノではないらしく、月の給料の二割はそれに割かれているらしい。

 薬を飲むために仕事をしているのだろうか、などと僕は思ってしまうのだが、それほどまでに、何のために仕事をしているのかわからない、父ちゃんである。しかし、それだけではないことは確かで、僕ら家族を喰わせていくためにはしかたのないことなのだろう。それに、ある程度年をとったサラリーマンは、管理職になれなければ、リストラの憂き目に会う。

 だから、父ちゃんは、「会社のため」に、今日も、その薬を服用し、ハイテンションになりながら、必至に書類と向き合っているのだろう。父ちゃんのテンションが低い時は、飲みつぶれて、トイレの前でその日、食したモノと再会している時くらいである。

 そうそう、話を戻すと、先ほど、コンビニの話が出てきたのだが、実は、僕が小学生のときに、IDカード不携帯でつかまったのは、そのまさにコンビニで買い物をしようとしたときである。

 コンビニというのは、とにかくすごい。ほとんど全ての食べ物がそろっている。ともかく、そのとき僕は、遊びに行った帰りで空腹だったせいもあって、きれいにパケージされた菓子 ー 後で聞いて驚いたのだが、依存症を引き起こす調味料が添加されているらしい ー を、かなりの数、レジに持って行った。そのときに、IDカード忘れに気づき、まごまごしていたら、店員に即座に通報され、敢えなく御用になってしまったという有様だ。小学生が強盗なんてするものか、と思うだろうが、この社会では、たとえ、女、子供だろうと容赦はしない。

 皆がカードにこだわるのは、「IDカードを持っていない連中は、この社会では人間ではない」という考えからくるらしい。友愛省の警吏に言わせれば、東京都の在住で、カード不携帯者で、なおかつ身元を確認できなければ、『宇宙人』なのだそうだ。

 そんな無茶な、と思うかもしれないが、疑われるような不信な行動をとっていれば、それだけで、『宇宙人』の一味と思われてしまう。

 疑わしきは罰せよ。という、究極の管理社会、これが僕たちの住む東京弐十三区である。

 そんな、とんでもない世界に生きている僕が、その世界をほんとうに『とんでもない世界』と気がつくに至った経緯がある。

 ある事件が起きたのだ。

 それまでは、ずっと、なんの疑いも無く、この管理、統制の行き届いた東京都二十三区で、何不自由無く『楽しく』暮らしていたし、これからもそれが永久に続くものだと思っていたのだ。

 ずっと、1984年が続けばいい。かつて僕はそう思っていた。

 ある意味で、その「1984年が続けばいい」との考え方は、支配する側にとって「正しかった」のだが、これを後々に知らされた時の僕はひどく裏切られた気がした。この『とんでもない世界』が、実は虚構の上に成り立っていたなんて。。。

 そう、僕の住む東京都は、いや、もっと言えば世界が、「1984年が永久に続く虚構の世界」だったのだ。

 少々、前置きが長くなったが、まずは、右に述べた事件の話からはじめたいと思う。

 僕が、最初にこの世に疑問を抱き始めた日の出来事である。

小説『一旧八四年』 04へ、つづく

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小説『一旧八四年』 01


小説『一旧八四年』 02

 彼ら痴呆老人たちは、年齢から察するに、『戦前』生まれということになる。しかしながら、僕が学校で習った限り、『戦前』というのは、ひどく文明の遅れた観のある時代だ。
 貧しく、食うものに困り、みんな、畑に芋を植えてどうにか餓えを凌いでいたということを学校で習った。モノは不足し、なけなしの銭をつぎ込んで、闇市で石けんなどの日用品をどうにか手に入れることができるというレベル。トイレだってボットン便所の汲取式だし、今ほど水洗便所が普及しているわけじゃない。電車と言えば、せいぜい汽車=蒸気機関車のレベルだ。今程、路面電車が張り巡らされているわけじゃあない。
 僕らの住む東京は、『戦後』になってはじめて、文化的かつ文明的な世界で生活できるようになった、というのが、この『1984年』の常識なのだ。
 ともかく、今、『1984年』は『戦後』である。ただし、ここで注意しておきたいのは『戦後』、といっても、僕たちの知る『戦後』は、これをお読みの読者が聞き及んでいる『戦後』とは、すこし変わっているので、注意を要する。『戦後』というくらいだから、戦争があったわけだが、1984年より、およそ40年くらい前における戦争は、人間同士の争いではない。

 僕らの世界の『戦前』と『戦後』とは、こうだ。

 信じられるだろうか。

 我々、人類は宇宙人と戦ってきたのだ。

 宇宙から侵略してきた『宇宙人』どもと戦いがおわったのが1945年。

 1940年。宇宙人の乗ったUFOが世界各地に飛来する。病原体をばらまき、電磁波を照射することで気候を操り、地震まで引き起こしたという。そして、UFOはついに、ヒトビトが住む街を一斉に焼き払った、ということが歴史の教科書に書かれている。
 それまで相互いに争っていた僕ら地球人は、共に共通の敵と戦う事に目覚めたらしい。侵略者=宇宙人と戦うために一致団結して、空からの侵略者に対抗したのだ。互いに争っていた枢軸国と連合国は、国際連盟の調停の下、争うのをやめ、力を合わせて、宇宙人を追い払った。

 宇宙人から世界をすくったのが、国際連盟が派遣した『ゴレンジャー』と『地球防衛軍』と『プリティー5』他、ヒーローの面々。そう、僕らのヒーロー、ヒロインだ。僕たちはみんな、世界に平和をもたらしたヒーローヒロインたちを愛し、そして、崇敬していた。もちろん、彼ら『正義の味方』を派遣した国際連盟もまた、僕たちの賛美の的だ。ちなみに、今は、国際連盟とは言わない。『NWO』、と、横三文字で言うのだ。New World Orderの略。日本語で言えば、新世界秩序である。
 彼らNWOの統治機構の下、世界は一つになった。世界は、ブリタニア、イースタシア、ルシアニアの三つのブロックに分断され、統治されている。

 その『戦後』、荒廃した東京に、ブリタニアから、マッカーサー元帥がやってきた。元帥主導の下、日本政府は、東北、関東、西日本の三州に分割され、地方分権が進む事になった。関東州の州都である東京都もまた二十三区に分けられ、以後今日にいたるまでの体制が完成し、各区それぞれが独自に統治を進めている。昔の日本政府のように膨大かつ用途不明な予算や腐敗、汚職も無い、計画的で無駄の無い完璧な世界がNWOによって造り出されたのである。
 僕たちの住む東京は、このブリタニアの代理人=マッカーサー元帥の導きによって近代的で、文化的な生活を送ることが許されているということになる。

 さて、申し遅れた。先ほどから僕、僕と言っていたが、僕が誰のことか、さっぱりわからなかっただろう。
 僕の名前は、磯辺カツヲ。東京都は、第参区に住んでいる中学一年生だ。
 実は、僕の住む街=東京は二十三区に分割され、それぞれが高くて大きい壁で覆われている。僕たち家族は、決められた場所での居住しか許されていない。生まれてこのかた東京三区生まれで、東京三区育ち。壁の外の世界は知らないし、知ろうとも思わない。壁の外に出るには、通行許可証が必要だけれども、その書類を発行して貰えるのは一部の特権階級、『甲』レベルのIDカードを持つ者だけだ。

小説『一旧八四年』 03へ、つづく

Never Say Dieにて、連載小説を描かせていただいております、現代史の公文書籍館の大塚と申します。

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今回は連載第一回目です。

小説『一旧八四年』 01

西暦1984年。

あるいは昭和五十九年。

 ただし、断っておきたい。この年号は、はっきり言って、定かではない。僕が物心ついたころには、「戦後の時代だった」のだ。ゆえに、果たして、本当に今が、このたった今が、1984年かどうか、それついて、はっきりした確証はない。

「確証はないだって?」
 と、これを見た同時代の人間は、「何を言っているのか」と、戸惑う事だろう。確かに、回りのヒトビトたち ー すなわち、僕の親、兄弟 ー 、そして唯一の情報源=偉大な『テレビ』様は、『今は西暦1984年、昭和五十九年、昭和天皇陛下万歳』を繰り返すのだが、そう聞かされているだけであって、実際のところ、はっきりしたことが、よく、わからないのだ。

 なぜ「わからない」、などと世迷い事を述べるのか、というと、確かな昔の情報が知らされていなからだ、といったところ。実は、僕の回りには、『戦前』生まれの人間というのが、ほとんど、いない。まれに、いるにはいるのだが、大抵はアルツハイマー症という痴呆が進んでいて、「お昼はまだかえ?」、などと、ねぼけたことしか言わないのだ。『戦前』の事を語ってくれる者はほとんど、いやしない。

 この1984年の現在、とにかく老人という老人はほとんど痴呆症になっている観がある。あの映画、映画ターザンの主役をつとめたジョニー・ワイズミュラーは79歳で死去したのが今年、1984年の1月21日。彼の晩年は痴呆症でターザンのような雄叫びをあげていたというのだから皮肉だ。

 ところが、そうした老人たちの中に、時々、信じられないような昔話をする者もいる。

「若い頃は、『プレステ』とか『wii』とか『DS』とか、ずいぶんとゲームをしたものだ」

 などとSFまがいのことを言うこともある。彼らは3Dの映像が見えるだの何だのと、ありえないほど進んだ娯楽=ビデオゲームの話をするが、今の時代、1984年ではとてもありえない話である。

ゲームと言えば、すごろくや人生ゲームなどのボードゲームが全盛の時代である。テレビゲームともなれば、『ファミコン』という画期的な家庭用ゲーム機が出て間もない。2Dのゲームというだけで、僕などの腰を抜かすのに十分なシロモノで、しかも、一般家庭でも裕福な家でもないと買う事は厳しい。それほど高価なゲームだというのに、あの老人どもときたら、
「ファミコンなぞ」
 と、鼻であしらう有様である。さぞかし、彼らの頭の中では、すばらしい3Dゲームで楽しんでいる妄想で満たされているのだろう。痴呆が進みすぎるとああなるのだろうか、と僕は思っていた。

 ところが、『戦前』についての唯一の情報源(?)でもある、この手のおかしな老人は、友愛省が派遣する警吏どもによって、さっさと『老人介護施設』へと搬送されてしまう。

 友愛省の『白バン』と言えば有名で、自動車が珍しいこの時代 ー 電力節約のために、一般市民は自転車で通勤、通学し、どうしても遠出が必要な時は、路面電車に乗って移動する ー において、友愛省の警吏は真白いワゴン車を乗り付けてきて、狂言を吐く老人を片っ端から詰め込み、施設に送るのだそうだ。『白バン』に乗った老人の中で、その後無事に、家に戻ってくる者は、これまでのところみたことがない。だから、多くの老人は、「霊柩車より怖い」と恐れおののいているという始末。ところが、中には、そんな『白バン』をものともしない老人もいる。

 隣の家の、イササカ先生という、元作家の老人は、この類いだ。

「キミキミ、今が何年か知っているかね?」

 と、僕が道ばたで友達と落書きやメンコなどをして遊んでいると、その痴呆老人は隣家を隔てる生け垣からぬっと顔をだして、尋ねてくるのである。

 これは、去年のことである。去年はと言えば、僕は小学六年生だった。であるからして、僕は、無論、

「1983年」

 と答えるのだが、この老人は、頸椎が脱臼するんじゃあないかと思えるほど、激しく首をぶるぶると横に振るのである。

「否、否あ〜」
 と、老人が叫ぶ度に、僕らはビクッと、身を震わせるのだが、老人はおかまいなしだ。

「今は、とっくに二十一世紀、しかも、二十一世紀も後半じゃあ〜」

 どう考えても、マトモじゃあない。

 僕は怖くなって、このイササカ先生といういささか狂人じみた老人から逃げるようにして、その場を後にしたものだ。これだけの狂言を吐いていても、彼が通報されず、白バンによって施設送りにならないのは、何やらわけがありそうであるが、僕にはその理由がまだつかめていない。

 さて、よくよく考えてみると、老人たちの言い分にも、ある一定の規則性がある。

 彼らの話を聞き、統合してみると、彼らの若かりしころは、テクノロジー、特に、情報通信機器が異常に発達した社会で、ものすごく便利で豊かな都市=東京での生活という情景が浮かび上がる。その根拠となる話は、3Dのゲームの話だけではない。手のひらサイズの携帯電話は一人一台の世界で、パーソナルコンピューターまでも一人一台、どころか、『マック』と『ウィンドウズ』とかいう異なるOSのパーソナルコンピューターを二台も持っていたりするらしい。そのコンピューターで、インターネットとかいう情報網を通じ、世界中のヒトビトとコンタクトできるらしいというのだから驚きだ。今時のSF漫画さながらの世界じゃあないか、と突っ込みたくもなる。

 そういえば、老人たちの言う『マック』というのが、「ハンバーガー屋のマクドナルド」ではなくて、『マッキントッシュ』のことだというのは最近知った。今年、1984年1月下旬に、アップルコンピューターがマッキントッシュを発表した、という話を、近所に住むコンピューターオタクの浪人生=ベンゾウさんから聞き及んだのである。ベンゾウさんみたいなオタクが知っている最新機器の情報を、どうやって、あの痴呆老人たちが、あらかじめ知り得たのか、ということは少々疑問の残るところではある。

 しかし、果たして、老人たちがそんな、SF漫画的な御伽の国のような世界で生まれ育ってきた、なんてことがあるだろうか?

 僕には、老人ども皆が示し合わせて、若い人たちにおかしな幻想を吹き込んで、おもしろがっているとしか思えない。だから、有害情報というか有害妄想をばらまく老人たちは、友愛省の連中に施設に入れられてしまうのだ。彼らは、あまりにもボケがひどいから、施設からおいそれとは出て来れないのだろう。その施設での痴呆の治療がきっと長引いているのだろうと、すくなくとも僕は思っていた。

小説『一旧八四年』 02へ、つづく

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福島


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